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【歴史は繰り返す】4号機から5号機に移行して何が起こったか。

みなさま。こんにちは。
専業をやめて就職し3年で年収1000万まで登りつめた、勝ちスロ.comのこうしです。


もうすぐ6号機なるものが世の中に出始めるようです。もしかしたら、5号機からスロット始めました!という人も多いのではないかと思ったので(調べたら5号機の設置年月は6号機への移行を加味しても歴代最長!!)、歴史に学ぶということをテーマに[4号機が終わって5号機に移行した]時には何が起こっていたか、ということに着眼点をおいて歴史の証人である私の主観を大いに交えて書いていこうと思います。


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4号機の終焉

一口に4号機と言ってもその中にも当然のように歴史がありました。
ストック機と呼ばれる連チャン性の高い台のことを思い浮かべる方も多いかも知れませんが、ストック機自体は4号機中盤〜後半ぐらいの時期の台になります。
大まかに分けると、

CT機(技術介入機)
大量獲得機(711枚取れる)
AT機(出玉スピードやばい)
ストック機(連チャン性高い)

こんな感じでしょうか。
ちなみにほとんどの台で大なり小なり技術介入が必要でした。
私がホールデビューした頃はAT機に規制が入ったぐらいだったので、私の知る4号機はストック機が多いです。

さて、これらの台の思い出を書いていってもいいのですが記事の趣旨からはズレてしまうのでそれはおいおいとして、これら4号機達にも行政のメスが入ります。まぁ今と同じですね。
爆裂AT機を規制したとはいえ、ストック機でも射幸性は十分高すぎました。
なので、ストック機も規制が入り、4.5号機→4.7号機→4.9号機とどんどん進化(退化)を遂げます。

5号機デビュー

規制で縛られていく4号機を尻目に颯爽と5号機がホールデビューを果たしました。
5号機の一番最初の台はエヴァンゲリオンだったと記憶しています。
私の思い出で語ると、ホールに設置している大都の台を打っていたらレバーの丸い部分が取れて転がっていき(昔の大都の台はよく取れた)
転がっていった先の島にエヴァがあって、ボーナスの目押しを頼まれたのを凄い覚えています。
ちなみにボーナス入賞させても払い出しがなく、おじちゃんにメダルを数枚貸してあげました。5号機って、ボーナス揃えても払い出しないんだぜーと仲間に自慢げに話たのを覚えています。

移行期間

5号機がホールに出てからも、俄然お店の主力機種は4号機たちでした。4号機のうち検定期間の長い機種を再導入するお店なんかも多く
私の大好きな4号機「燃えよ!功夫淑女!(以下、燃えカン)」なんかもその一例で、バラエティコーナーで良く目にするようになりました。
ちなみにこの燃えカンですが、設定6の機械割が104%!低い!※ちなみに設定5でも104%、ただし全く違うゲーム性です。
設定6の燃えカンは、今でいうAタイプの台のようにコツコツとボーナスを当てて行く感じでメダルを増やします。
変わって設定1〜5は高確率に入れてそこでボーナスを当てて、また高確率に戻って、という感じで数珠つなぎに連チャンを起こして行きます。

さて、話を戻しましょう。この移行期間ですが、結論から言うと
5号機にはめちゃくちゃ設定が入っていました!

イベント日にはお客さんの期待を裏切らないように4号機にも設定が入っていましたが、平常営業日には5号機の設定状況がとても良かったように記憶しています。
この頃はイベント告知がOKだったので、○○(5号機)は全台MAX!とか言うメールが店から良く来ていた気がします。
まぁこの頃の5号機は全く出ない台がほとんどだったので、メールを見てから店に行っても空き台がちらほら、なんてことは日常茶飯事でした。4号機の出玉スピードはそれだけ圧倒的だったのです。スロットユーザーも全員それに慣れてしまっていたんですね。

球児とかバトルリーガーなどは、近所のホールにあったのでとても良く打ちましたが、、、辛い思い出が多いです。けれど良い台もあってピカ吾郎はわりかし出ましたし、ジャックと豆の木は事故れる仕様でした。豆モードで消化すると、○ソつまらなかったですが笑
(豆モード補足:通常時は画面中央の豆がピクピク動くのを眺めるだけ、芽が出ればボーナス。ボーナスが1/500とかだったので、1、2時間豆を眺めているだけなんていう状況になることが良くありました)

スロ専業達はどうしていたか。

5号機への移行期間中は、イベント日には4号機を打ち通常営業日には5号機を打つ、といった専業は意外と少数派でした。
じゃあみんなどうしていたの、と言われるとパチンコを覚え始めた人が多かったと思います。
と言うのもこの頃はパチンコがとっても良い時代だったようで、今までスロットしかやったことないような人たちもこぞって玉をはじいていました。
私は今でこそ両方やりますが、この頃はパチスロ一本!だったので詳しい話が書けないのでパチンコについては割愛します。

さよならイベント

移行期間も終わりに近づき、店内の多数を5号機が占め始めた頃、4号機のさよならイベントなるものが各所で開催されていました!
さよなら秘宝伝!さよなら俺空!などなど
当時はさよならイベントに群がる人たちへの理解もあったのですが、これらのイベントは加熱し過ぎて少しさめて見ていたのも事実です。
今ならさよならバジリスク!などが開催されるのでしょうか。行きませんけど。

今だからわかる、移行期間の傾向と対策

最後のまとめですが、4号機→5号機と変化した時の経験を基に、同じようなことが起こるだろうと思って以下を書きます。

  • パチンコは出来た方が良い。

これは4号機時代に凄く思いました。良釘狙いだけでもいけるかもしれませんが、技術介入や知識介入が出来るようにマスターしておいた方が良いと思います。

  • 新しい台に目を向ける。

前述の通り、4号機の終わりには5号機の設定状況が非常に良かったです。昨今のユーザーの減少を加味すると一概には言えないかもしれませんが、それでもこれから出てくる6号機の方が設定状況が良くなるでしょう。撤去されていく台に設定を入れても店側にはメリットが少ないですからね。
お客さんに還元するという考えに基づいたら、私が設定をいじれる立場なら期待の6号機に設定を使いますし、お客さんとしてだったらそう言うお店に行きたいですね!

  • なんだかんだ楽しみ。

6号機、ホールデビューは何月ごろなんでしょうか。今から楽しみです。
新しく思い出したことがあったら、この記事リライトすると 思います。